5.寒修行 |
妙覚寺の過去をふりかえり、寒修行は大事な修行であったと思います。なにが大事なことであったかと言うと、お寺を維持していくために大事であったと思います。 昭和三十年代後半で二十軒ほどの檀家と信者で、四十九年に今の本堂を建てたときでも六十軒ほどと記憶します。私がお寺に来たのは四十二年の秋で、そのときにお寺には、お上人さん、尼さん、おばあちゃん、妙顕、妙孝の姉弟子と、おこもりの人が二、三人いれかわりにいました。 壇家さんがする寒修行は敬和会の収入として、行事の経費や設備、営繕など多目的に大事なことでした。 尼さんを先頭に寒中の夜、私たちは二組になったり一人になったりして寒行をしました。毎夜、浄財のご報告をして、今日はがんばったね、たくさんの人に功徳を積んであげれたねとか、今日は私たちの功徳を積めたねと、尼さんの言葉を頂きました。 この浄財は尼さんに納まりました。食費など大所帯ですからかかったと思います。食べものは無駄にしない生活です。 法華経に縁を持っていただき、法華経を広めようという修行ですから、寒中以外にもしました。 時を経て現在、壇家さんがする寒修行は数人となりました。 壇家参りの寒修行のみ続いています。 寒中、皆さん頑張りましたねご苦労様と、ねぎらいにお寺からお参りに行ったのが始まりと思います。当時は皆が寒修行に出ていたからです。 さて、本来、寒修行は誰のための修行なのでしょう。 お坊さんはこの時期、荒行に入ります。荒行堂に入らなくとも、お寺のなかで水行をし読経して行力に励みます。 壇家は住職の行が魔事なく満行しますように、そして幾らかでものご供養ができますようにと、願いをかけて行われた意味合いが、寒修行にあります。 寒修行を行うことの大事さをご考察お願いします。 |