199. 父母への孝養       .        高橋俊隆

   日蓮聖人が最も悩まれたことは、独立して一人で法華経を説くことでした。何を悩まれたかと言いますと、当時において宗派を開くことは異端な行動と思われ、所属していた天台宗などの仏教諸宗からの妨害や、幕府からは治安を乱し政治に介入することによる迫害が想定できるからです。

 今では想像できないほどの幕府から攻撃を受け、日蓮聖人は伊豆と佐渡ヶ島に二度の流罪を受けています。他宗の門徒からは草庵を焼き討ちされ、故郷の近くの小松原という所では東條景信たちに闇討ちされ、弟子や信者の武士が命を落としています。

 このことは当初より覚悟されていたことでした。なぜなら、法華経には末法に正しい教えを説くものは必ず迫害があると説かれていたからです。それゆえ命を惜しまず釈尊の正しい教えを説き、人々を本当の幸せに導くように訓戒されていたからです。

 日蓮聖人は出家した清澄寺に帰り、ここを出発点としてお題目を説き始めました。これを「立教開宗」と言います。

 自分の命は惜しまないけれど、もし、父母が捕えられ、法華経を広めることを止めなければ、父母の首を刎ねると脅迫されたとき、聖人はそれでも法華経を説き進むことができるであろうかと、大いに悩まれたのです。

 釈尊は必ず困難がある、いかなることがあっても、人々のために法華経を広めよという遺言をされていました。日蓮聖人は父母の本当の孝行は法華経を広めることという結論に達したのです。

 しかし、日蓮聖人の心は苦しかったと思います。晩年、身延山に入ってから出家した身であるけれど、父母の孝養が足りなかったと述べています。仏道修行の視点ではなく、子供として親の側にいて身の廻りの世話をして、たくさん話をしたかったという、素朴な人としての日蓮聖人が窺えます。