37.日蓮聖人の伝記について             高橋俊隆

日蓮聖人のご生涯を拝察するためには、直弟子による日蓮聖人の『伝記』が一番、確実と思われます。

一、『宗祖御遷化記録』日興著。

二.『大聖人一期行状日記』日向著。

三.『大聖人御伝』著者不明(中山日祐『本尊聖教録』)。

四.『日蓮聖人御弘通次第』日進著。

まず、日興上人の『宗祖御遷化記録』があります。ここには伊豆流罪から入滅までの略年譜と、六老僧の名を記した正文書、葬儀に参加した門下の名前が記録されています。日向上人が筆録したという『大聖人(高祖)一期行状日記』と著者不明の『大聖人御伝』があったといいますが、煙滅して現在には伝わっていません。孫弟子の身延三世日進上人の『日蓮聖人御弘通次第』がありますが、一紙におさまる程度の年譜にすぎません。

江戸以前の『伝記』で日蓮聖人の伝記としては最も古い『三師御伝土代』(元弘3年1333)は、富士大石寺四世弁阿日道上人(1281~1341)の著で、『日興上人御伝草案』『日目上人御伝土代』『日蓮聖人御伝土代』の三部を一冊にまとめたものです。土代とは草案のことをいい下書き程度の祖伝で簡略であり両親などの詳細は書かれていません(大石寺6世日時の筆と筆跡鑑定されたが未決。元来、日時による「応永十年」1403年の奥書があった。『興風』16号池田令道論文。山中講一郎『日蓮自伝考』41頁)。『伝記』として普遍性はないといいます(『日蓮宗事典』301頁)。 

このことからしますと、日蓮聖人滅後の数十年の間でもっとも信頼ができる日蓮聖人の『伝記』に関する資料は乏しかったといえましょう。ようやく伝記として整ったのは身延十一世日朝上人(1422~1500年)の『元祖化導記』です。文明十年(1478年)の成立ですので、日蓮聖人が入寂してから百九十六年という長い年月が経過しています。

そこで、先師が引用された確実と思われる日蓮聖人の『伝記』を調べますと主に次の著述が基本となっています。

 行学日朝上人    1422~1500年 『元祖化導記』

 円明日澄上人    1440~1510年 『日蓮聖人註画讃』

 證誠院日修上人     1532~94年       『元祖蓮公薩埵略伝』

 豊臣義俊          不祥            『法華霊塲記冠部』

 智寂日省上人    1636~1721年 『本化別頭高祖伝』

六牙日潮上人    1674~1748年 『本化別頭仏祖統紀』

 建立日諦・玄得日耆上人  1779年著述 『高祖年譜攷異』

これらの『伝記』を含め『日蓮聖人伝記集』には、つぎの8著述が収録されています。

1.『元祖化導記』二巻。

身延山十一世行学院日朝上人(1422~1500)の著で、文明10年(1478年)に成立し室町時代を代表する伝記本です。遺文を中心にして編集し『王代記』『太平記』などによって補足しています。日朝上人はこの中で「或る記に云く」と引用されるのは、一説には日向上人が書かれた『大聖人一期行状日記』ではないかといいますが(高橋智遍『日蓮聖人小伝』1157頁)、あえて日朝上人が出典名を記載しないのはおかしいという説がありこれを否定しています。しかし、日朝上人が当時、保存されていたさまざまな資料をもとにして『元祖化導記』を著述したことが推察できます。

2.『日蓮聖人註画讃及抄』五巻。

円明院日澄上人(1440~1510啓運と通称される)の『日蓮聖人註画讃』は成立年代不詳で原本は存在しませんが、天文5年に製作されたものが本国寺に現存します。享保二十一年(1736年)に刊行本を翻刻し、日収上人の『註画讃抄』を合わせて一つにしています。『日蓮聖人註画讃』の内容は日蓮聖人の生涯を絵と漢文の説明を書き入れた絵巻物で、『元祖化導記』の文献学的な伝記とは違い信仰的に潤色されているのが特徴です。読者の関心が高く日蓮宗最初の出版物として慶長六年(1601)に漢文体のものが刊行されました。

3.『元祖蓮公薩埵略伝』一巻。

法華宗真門流の総本山、京都本隆寺七世の證誠院日修上人(1532~94)の著で、永禄九年(1566)に成立し、寛文9年(1669)に翻刻されています。1~3は室町時代の成立です。

4.『元祖一代歴』

日蓮宗不受不施派で『録内啓蒙』などの安国院日講上人(1626~98)の著で元禄15年(1702)に翻刻されています。

5.『法華霊場記冠部』一巻(『蓮公行状年譜』『法華霊場記』)

豊臣義俊(生没年不詳)の著で承亨2年(1685)に成立しています。

6.『本化別頭高祖伝』二巻。

身延山三十二世智寂院日省上人(1636~1721)の著で、享保五年(1720)に成立し、享保21年(1736)に翻刻されています。日省上人は身延山に秘蔵されていた古文書をもとに著作したといいます。なお、日省の弟子で身延山36世の六牙院日潮上人(1674~1748)の著『本化別頭仏祖統紀』(1731年)の「高祖本紀」のなかに本書の写しが見られます。

7.『本化高祖年譜』一巻。

建立日諦・玄得日耆の著で安永8年(1779)に成立し、弘化4年(1847)再刊本を翻刻しています。

8.『高祖年譜攷異』3巻。

同じく建立日諦・玄得日耆の著で安永8年に成立し、弘化4年に翻刻し『本化高祖年譜』の会本として一つにしたものです。遺文をもとに日蓮聖人の伝記を構成し、『録内啓蒙』『朝師見聞』などの注釈書や『本化別頭仏祖統紀』『高祖本紀』などの伝記を並べており、『史記』『高僧伝』『吾妻鏡』『王代一覧』などからも考証しています。

 このほかに『当家宗旨名目』(本成房日実1461年)・『祖師伝』(広蔵院日辰1559年)などがあります。また、日蓮聖人伝の刊行は慶長六年(1601)の『日蓮聖人註画讃』から慶応三年(1867)の『日蓮聖人真実伝』にいたる270年間に四十回を数えるといいます。

小川泰堂居士はこれらの『伝記』のなかで、漢文で難読ではあるが『元祖化導記』『日蓮聖人註画讃』『本化別頭仏祖統紀』『高祖年譜』は「善尽し美をつくす」と高く評価しているように(『日蓮宗事典』86頁)、今日の『伝記』の母体となっています。

明治以降は、『法華経の行者日蓮』(姉崎正治1916年)・『日蓮聖人伝十講』(山川智応1921年)・『日蓮聖人御自伝』(鈴木一成1926年)・『大国聖日蓮上人』(田中智学1929年)・『日蓮聖人の生涯』(清水龍山1936年)・『日蓮』(大仏次郎1951年)・『日蓮聖人小伝』(高橋智遍1962年)・『日蓮教団全史上』(立正大学日蓮教学研究所1964年)・『日蓮』(山岡荘八1964年)・『日蓮とその門弟』(高木豊1965年)・『日蓮』(川口松太郎1967年)・『日蓮』(川添昭二1971年)・『日蓮とその弟子』(宮崎英修1971年)・『日蓮の伝記と思想』(日蓮宗現代宗教研究所1975年)・『日蓮聖人―久遠の唱導師』((岡本錬城1977年)・『日蓮』(中尾尭文)などが発行されています。

新たな資料が年数を経ることにより発見され、これまでの『伝記』に修正や補足が加えられて史実に近い『伝記』となっています。これらの先師の研究を大切にして勉強会を進めていきたいと思います。