331.機根について      髙橋俊隆

「機」はその人の全ての能力のことを言います。これにその人の性格を組み合わせて「機根」(きこん)と言います。ですから、根性と言うのはその人が本来もっている性質や性格を言い本能のような表現にもなります。しかし、これは自分の意思で変えていくことができるものです。仏教はそれを重視した教です。

じつは仏教ではこの機根のとらえ方で念仏宗や禅宗、そして日蓮宗などに大きく分かれたのです。基本は末法の極悪の時代は機根が劣れる者が生まれてくるので、その者を善の道に導く方法が他力にすがるが自力で克服するか、両者の道を歩むかという選択となりました。

 機根は根性とも言い表せますので、法華経の教学では『三種教相』の第一番目に注目しています。

『三種教相』(さんしゅきょうそう) 『定遺』2228頁

文句九云

第一 根性融不融(こんじょうの ゆうふゆう)

第二 化道始終不始終(けどうの しじゅうふしじゅう)

第三 師弟遠近不遠近(していの おんごんふおんごん)

 

□『三種教相』図録四

 この年とされる『三種教相』があります。真偽については未詳ですが『天台三大部』の引用文で構成されています。内容は「三種教相」をもとに、釈尊一代の教相判釈の文を集めています。

 ・第一教相

「根性の融不融相」についての引文は、『三八教』と概ね同じです。これを「第一教相」といいます。法華経の迹門の五品(方便品~授記品)をもとに立てており、とくに信解品の説示をもとにしています。根性とは各々の機根のことをいいます。この機根が爾前と法華経において相違があることを、融・不融と分けます。これは、爾前経においては、釈尊の教えが当分であるから、衆生の根性が融熟していないのです。しかし、法華経は四二年をかけて衆生の根性を融熟してきたとみて、爾前経と法華経の勝劣をのべます。

釈尊は衆生の機根を高めていく化導をしました。爾前においては直接的に真実を解かず、相手に応じて教えを説き進めます。これを方便・随他意・当分といいます。それは根性である機根の当分に衆生を利益している(当機益物)教えとします。

法華経は一乗の教えを相手に応じず直接的に説きます。これを真実といい随自意といいます。釈尊は法華経を説くことによって、始めて機根が一乗に融通したと説きます。ここに、「根性の融不融相」を立てた天台大師の勝劣論の意図があります。

「第二教相」の「化道の始終不始終相」においては、下種益・熟益・脱益の「三益」を示しています。この種・熟・脱の「三益」は爾前経には説かれず、法華経の迹門化城喩品において、はじめて釈尊の過去から現在にいたる化道の始終が説かれました。それは、三千塵点劫という過去に、大通智勝仏の十六王子の法華覆講のときを下種し、その後の化道を熟益して、今番の法華経の会座において脱益をした因縁を説きます。

日蓮聖人はこの種・熟・脱の「三益」について、天台三大部などの要文を羅列して、下種と脱益は純円一実の法華経に限ることを示します。また、大通仏の結縁(下種)以後に退転した今番の二乗のために、七教のなかに調停種を下して化道してきたことを説きます。熟益の期間を中間といい、長養調伏したとします。熟益は漸機には漸教、頓機には頓教をもって教化し、大乗・小乗の教えの違いにおいても、機根に応じて得益してきたことの引文をしています。なを、「三益」について明示しているのは、天台大師の『法華玄義』『法華文句』です。

「第三教相」の「師弟の遠近不遠近相」は、日蓮聖人において特に重要な教義となります。天台三大部の引文が大半をしめていて、この「第三教相」を重視していることがうかがえます。この教相は寿量品の五百塵点喩をもとに立てられた教えで、下種を久遠として三益を説きます。これを「久遠下種」といいます。また、釈尊と地涌の菩薩の師弟関係の久遠を顕すことと共に下種を認めます。これを「師弟ともに久遠」といいます。

「第二教相」と「第三教相」の違いは、大通仏は迹因迹果、寿量品の久遠仏は本因本果を顕すところにあります。なを、日蓮聖人は「第三教相」を重視し、「第三の法門」と呼称して独自の教えを展開していきます。これについては、日蓮聖人の本化上行自覚などと深く関連します。

 次にテキストとして『日蓮宗事典』の解説を見てみましょう。

天台大師智顗が釈尊御一代の聖教を爾前経と法華経とに分別し、法華経の勝れている法門を三種数えあげたものである。詳しくは天台大師の『法華玄義』に説かれている。まず「三種」とは「教相に三と為す」(一巻上)とあって、一には根性の融不融の相、二には化道の始終不始終の相、三には師弟の遠近不遠近の相である。そして「教相」とは「教とは聖人下(しも)に被(こうむ)らしむるの言(ことば)也。相とは同異を分別する也」(一巻上)と規定され、釈尊の説かれた教えは八万法蔵というように多くあって、その中には精粗、純雑、浅深などの種々の相違があることから、その同異を分別することだというのである。しかもその教相の必要性を天台大師は強調されているのであって「若し余経を弘むるには教相を明かさざれども、義において傷つくること無し。若し法華を弘むるには教を明かさざれば文義闕くること有り」(一〇巻上)というのである。つまり諸経と法華経の法門の違い目を明らかにすることが大切であって、そのことによって釈尊の御精神を正しく把握できるという立場である。

第一の教相は法華経信解品の説相から立てられた法門である。即ち釈尊の立場から見られて、衆生の機根が釈尊の真実の教えを正しく受け入れられるようになっているかどうかということを問題にするのである。融と言えば素直に受け入れられる状態に達していることで、不融といえばその逆である。そこで余経は不融通の機根に対する釈尊の随他意の説法で、法華経は融通の機根に対する一乗真実の随自意の教説と見るのである。これが法華経の勝れている第一の法門である。また、ここを根拠として天台大師は五時八教の判教を論ぜられるのである。

第二の教相は、法華経化城喩品の説相から立てられた法門である。釈尊の御化道には始終があって、余経にはこの始終を明かさないが、法華経にはそれを明かす。即ち余経は時に応じ、機に応じて設けられた教えであるが、法華経には下種益、熟益、脱益が説かれ、釈尊の御化道には始終が存するのである。かつて三千塵点劫の昔、大通智勝仏の法華経を聴聞することによって、成仏得脱の種が下され(始)、その中間において調熟がなされて、その結果今の脱益(終)があるというのが、化城喩品の説相である。

第三の教相は法華経寿量品の説相によって立てられた法門である。余経では師の釈尊は菩提樹のもとで悟を開かれた始成正覚の仏であって、その弟子は一時的な関係にすぎず、歴史性の上から超えることを示さなかった。しかし寿量品では、釈尊の寿命が久遠であることを開顕することによって、本眷属たる弟子も久遠であることが示され、師弟ともに久遠の関係に立つことが明かされた。そして久遠本仏を能統一者として、三世十方の諸仏菩薩等は分身あるいは弟子として位置づけられるのである。以上のことから、これらの三種の法門は、諸経と法華経とを比較して、法華経の超勝性を了解せしめんとするものであることが分かる。

第一第二は迹門、第三は本門の説相であることは自明であるが、日蓮聖人は第一第二は天台、伝教の立場であり、今末法の日蓮は自ら「第三の法門」であることを表明し、本門法華を中心とする信仰の樹立をはかり、教学の根幹が寿量品にあることを明示されている。即ち『富木入道殿御返事』には「法華経と爾前とを引き向けて勝劣浅深を判するに、当分跨節の事三つの様有り、日蓮が法門は第三の法門也。世間に粗(ほぼ)夢の如く一二をば申せども、第三をば申さす候。第三の法門は天台、妙楽、伝教も粗これを示せども未だ事了へず。所詮末法の今に譲り与へし也」(定一五八九-九〇頁)と述べられている。

 仏教の基本は機根により釈尊はそれぞれの人たちに教を説いたことです。性格の違い趣向の違いがあり、年齢や環境により変わってきます。釈尊は42年間、その人たちを正しい一つの道に導くため教を説いてきたので「無量の義」となったと説きます。しかし、真実のおしえは一つであると説き始めたのが法華経の前段階となります。お経では『無量義経』です。

 しかも、それは過去、前世から続いていると説いたのが第二の化道始終不始終相です。さらに、私たちとの因縁の深さを教えたのが第三の教相となります。

 勉強会の時にいっしょに考えてみましょう。