29.久遠の仏・釈尊

 薬王菩薩たちなどの大勢の菩薩は、釈尊の命に従い末法に法華経を広めることを誓いました。
 しかし、釈尊はそれを拒否されました。「止(や)みね善男子。汝等(なんだち)がこの経を護持せんことをもちいじ」。
 薬王菩薩たちは戸惑ってしまいます。
 釈尊は「我が娑婆世界には大勢の菩薩がいる」とのべました。そうしますと大地が振動して六万恒河沙という菩薩たちが湧出してきました。みな金色の光明に輝いていました。そして、この大地から涌きでた「地涌の菩薩」の上首が上行・無辺行・浄行・安立行の 四大菩薩で、四大菩薩は釈尊に向かい奉り合掌して、
 「世尊は安楽にして少病少悩にいますか。衆生を教化したもうに疲倦ありませんか」
と挨拶をされました。
 この様子をみていた弥勒菩薩たちは、これらの高貴な菩薩はどなたかを問われます。弥勒は今まで釈尊のそばで仕えてきたけれど見たことも聞いたこともないと尋ねられました。
 釈尊は、「われ久遠よりこれらの衆を教化せり」と答えられます。弥勒は釈尊は30歳に成道され、まだ40年ほどしか経っていないのに、いつの間に教化されたのですか、まるで25歳の青年が100歳の人を我が子であるといい、また、100歳の人も青年をさして我が父であるといっているようで信じられないといいます。
 これに答えたのが如来寿量品です。
 釈尊は、皆は自分が王子と生まれ19歳に出家し30歳で成道した仏と思っているだろうとして、実は久遠の昔から仏であったとのべられるのです。地涌の菩薩は釈尊が久遠から教化してきた弟子であり、地涌の菩薩はそれを証明していると教えたのです。
 皆が今まで思っていた仏とはボダイ樹の下で始めて仏となった「始成の仏」、であったけれど、本当は「久遠の仏」であったことを説かれたのです。
 法華経の後半を本門というのは、この釈尊の本来の仏が顕されたということから本門といいます。法華経の前半を迹門というのは、本来の姿が顕されていない垂迹の仏であるところから迹門といいます。
 釈尊の久遠実成が説かれ、地涌の菩薩は重要な役目を持つことになります。湧出品の「止善男子」の「止の一字は日蓮門下の大事なり」と日蓮聖人がのべられている大事なことが展開されてきます。一番、大事なところに入っていきます。(H19.4.18勉強会よ)