136.『顕謗法鈔』・『論談敵対御書』                         高橋俊隆

『顕謗法抄』(三一) 

『顕謗法抄』は弘長二年に、著述されたというのが通説になっており、寂照院日乾上人が、身延に曽存していた真蹟対照本(本満寺本)を底本としています。題名から「謗法」についてのべた遺文であることがわかり、弟子・信徒一同に宛てたとされます。本書は四段にわけて構成されています。

一、「八大地獄の因果」を説明します。地獄とはなにかを示します。等活地獄から黒縄地獄・衆合地獄・叫喚地獄・大叫喚地獄・焦熱地獄・大焦熱地獄、そして、八番目の第阿鼻地獄、別名を無間地獄までの、各々の相・寿命・業因をのべています。経論を集めての描写が慧心僧都の『往生要集』に類似しているといわれています。

 五逆の罪を作った者が地獄に堕ちるが、このうち、殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧は今はないから、殺父・殺母の罪だけが残る。しかし、法律が厳しいからこの罪を作る者が少ないとのべ、では、五逆罪を造って無間地獄に堕ちる者はいないのではと問います。

「当世には阿鼻地獄に堕べき人すくなし。但相似の五逆罪これあり。木画の仏像・堂塔等をやき、かの仏像等の寄進の所をうばいとり、率兜婆等をきりやき、智人を殺しなんどするもの多し。此等は大阿鼻地獄の十六の別処に堕べし。されば当世の衆生十六の別処に堕もの多か。又謗の者この地獄に堕べし」(二五四頁)

しかしながら、仏滅後においては相似の五逆罪があるとし、謗法の者がこの無間地獄に堕ちるとのべています。

二、「無間地獄の因果の軽重」を説明します。三つの問答をたてて誹謗正法、つまり、法華経を誹謗することが大きな罪であることを解明します。五逆罪だけではなく、誹謗正法の者も無間地獄に堕ちることを、譬喩品の「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」を引いて文証としています。そして、五逆罪よりも、謗法の罪(破法罪)の方が重罪であるとし、しかも、法華経の持者(信仰者)を迫害することが謗法であることを、不軽品の「四衆の中に瞋恚を生じ心不浄なる者有り悪口罵詈して言く是無知の比丘と。或は杖木瓦石を以って之を打擲す。乃至千劫阿鼻地獄に於いて大苦悩を受く」の文を引き、

「此経文の心は法華経の行者を悪口し、及杖以打擲せる者、其後に懺悔せりといえども、罪いまだ滅せずして、千劫阿鼻地獄に堕ちたりと見えぬ。懺悔せる謗法の罪すら五逆罪に千倍せり。況や懺悔せざらん謗法にをいては阿鼻地獄を出る期かたかるべし。故に法華経第二云、見有読誦書持経者軽賎憎嫉而懐結恨。乃至其人命終入阿鼻獄具足一劫劫尽更生。如是展転至無数劫等云云」(二五五頁)

 

と、「法華経の行者」(信仰者)を誹謗することが、堕獄の罪になるとのべます。

三、「問答料簡」とは、謗法についてよく考え、問答形式をもって分別することをいいます。謗法の行為に一五の問答をたてています。まず、一~三の問答は、天台大師の『梵網経』の疏「謗とは背(そむく)なり」と、天親の仏性論の「若し憎むは背なり」の文をひき、

「天台智者大師の梵網経の疏云、謗者背也等云云。法に背が謗法にてはあるか。天親の仏性論云、若憎背等云云。この文の心は正法を人に捨さするが謗法にてあるなり」(二五六頁)

と、正法に違背し法華経を捨去させる行為こそが謗法であるとのべます。天親の仏性論の文は、大乗を憎み背くことが謗法であるという意味です。法華経に背くとは他経を取り、法華経を捨てることをいいます。

 つぎに、四〜一〇の問答は、「四十余年未顕真実」の文は、爾前の教えは方便であるから、爾前経のほうが勝れているとして、法華経を破ることは謗法であるとのべます。日蓮聖人はこの「未顕真実」の文を多く引用されます。二一歳のときに書かれた『戒体即身成仏義』において、すでに着目した権実論でした。

「無量義経云四十余年未顕真実云云。法華已前は虚妄方便の説なり。法華已前にして一人も成仏し、浄土にも往生してあらば、真実の説にてこそあらめ。又云過無量無辺不可思議阿僧祇劫終不得成無上菩提文。法華経には正直捨方便但説無上道云云。法華已前の経は不正直の経、方便の経。法華経は正直の経、真実の経也」(一一頁)

では、「未顕真実」とは何をさすのか、との他宗の解釈をあげ、それに反論します。他宗の反論とは、二乗は成仏できない、釈尊は始成正覚の仏、というのを「未顕真実」というのであり、そのほかの、浄土教の九品成仏は真実であるという説をあげます。これにたいし、この説は得一が「二乗永不成」を「未顕真実」といい、爾前の前四味のすべての教えを指したのではない、という説と同じであり、最澄はすでに『法華秀句』に、これを否定した説であるとのべます。日蓮聖人は「二乗永不成」を説く経のみが「未顕真実」であるという、この説にたいして反論します。これは「二乗作仏」の教えから、

「五乗は但一仏性なり。二乗の仏性をかくし、菩薩凡夫の仏性をあらはすは、返て菩薩凡夫の仏性をかくすなり」(二五八頁)

 

つまり、五乗(人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏)は全てに仏性が備わっており、二乗だけを永不成仏というのは矛盾するのではないかとのべます。

つぎの六問答は、「未顕真実」の意味は、成仏についていうのであり、往生のことをいうのではないとする説をあげます。日蓮聖人は、では、『無量寿経』に説く「不取正覚成仏已来凡歴十劫」の「成仏」も、「未顕真実」になるとします。つまり、法蔵比丘が成仏して阿弥陀如来となったことが方便となります。弥陀が不在の仏ならば、西方浄土にどの仏が往生させるのかということになります。

 これにたいし、(七問答)浄土宗は弥陀の成仏は、この「四十余年」のことではなく、それ以前の成仏であるとします。日蓮聖人は詰問します。今の「四十余年」の教えで凡夫が成仏できないことは、過去の「四十余年」の教えでも成仏できなかったことになります。なぜなら、過去も現在も未来も、仏は「開権権実」という決まった方式で教えを説くことが決まっているからであるとのべます。すなわち、

 

「又かれ此難を通して云、四十余年が間は成仏はなし。阿弥陀仏は今の成仏にはあらず、過去の成仏なり等云云。今難云、今日の四十余年の経々にして実の凡夫の成仏許れずは、過去遠々劫の四十余年の権経にても成仏叶がたきか。三世の諸仏の説法の儀式皆同が故也」(二五八頁)

 つまり、「三世の諸仏の説法の儀式」は、みな同じであるという定理があるのです。方便品の「如三世諸仏 説法之儀式 我今亦如是 説無分別法」『開結』一二〇頁)を文証とします。

 つぎの八問答は、『無量義経』の「不得疾成無上菩提」(『開結』二〇頁)の文は、「四十余年」の経々にて直ぐには仏にはならないが、遅く劫を経て仏になれる、つまり、他宗は爾前経にても成仏できるとしたいわけです。日蓮聖人は同じ『無量義経』のなかに大荘厳菩薩等の領解に、「過不可思議無量無辺阿僧祇劫 終不得成無上菩提等」(『開結』三〇頁)をあげます。そして、この経文は無限の時が過ぎても、爾前の経だけにては成仏できなかったことの証言とします。

つづいて、華厳宗が『華厳経』に「往生成仏」が説かれているので、「四十余年」のなかには入らないとすることにたいし、『無量義経』に「華厳海空」(『開結』二三頁)と説かれていることをあげ、「四十余年未顕真実」に入るとのべます。

 つぎの一〇問答は、法華経でなければ成仏できないのであれば、釈尊はすぐに法華経を説けばよかったのではないかという問いにたいし、釈尊がのべた経文をあげます。「若但讃仏乗 衆生没在苦 不能信是法 破法不信故 墜於三悪道」(『開結』一一七頁)。つまり、法華経をすぐに説けば、信じることなく、かえって、地獄・餓鬼・畜生の三悪道を作らせる業引になるというのです。これは、「一代五時」の化儀の理由でした。

 つぎに、釈尊が直ちに法華経を説けば、衆生は三悪をつくって堕獄するのにたいし、爾前経を説いたときに謗法がないのはなぜかを問います。釈尊の説法には随自意・隋他意があります。爾前の教えは衆生の心情を察して、少しづつ悟りに誘引した教えです。これを隋他意の方便といいます。衆生の心情に合わせて指導しますので、大きな謗法というものはないのです。しかし、釈尊が随自意とする法華経を説かないので、衆生は迷いのなかにあり成仏できないとのべています。

 さて、ここで、日蓮聖人の弘通の方法に反論します。釈尊のように権教を説かないで、法華経を説いて謗法の罪を作らせるのかという問いです。この一二問答は「末法下種」の理由をのべます。釈尊の在世の衆生は、順縁といって過去に法華経を聞いた人達でした。ですから順次に教えを深めて妙覚の悟りに到達することが可能でした。しかし、末法の衆生は逆縁といって、過去に法華経を聞いたことがない者ばかりです。また、末法には機根にそって化導できる能化はいないので、釈尊は末法には直ちに法華経を説くように遺言したとのべます。すなわち、

「末代濁世には当機にして初住の位に入べき人は万に一人もありがたかるべし。又能化の人も仏にあらざれば、機をかゞみん事もこれかたし。されば逆縁・順縁のために、先法華経を説べしと仏ゆるし給へり」(二六〇頁)

 

 順縁・逆縁ともに、法華経を説き聞かせる、これが釈尊が遺言した末法の弘教法であるとのべます。また、末法の人々はすでに悪道に堕ちることが決まっているという視点から、

「慈を先とする人は先実経をとくべし、不軽菩薩のごとし。又末代の凡夫はなにとなくとも悪道を免んことはかた(難)かるべし。同じく悪道に堕ならば、法華経を謗ぜさせて堕ならば、世間の罪をもて堕たるにはにるべからず。聞法生謗堕於地獄、勝於供養恒沙仏者等の文のごとし。此文の心は、法華経をはう(謗)じて地獄に堕たるは、釈迦仏・阿弥陀仏等の恒河沙の仏を供養帰依渇仰する功徳には百千万倍すぎたりととかれたり」(二六〇頁)

 末法の人々は悪道に堕ちることが必定している、これは、『文句記』の文によります。ここには、末代の人々は善因がないので、謗法の罪をつくらなくても三悪道に堕ちるとあります。同じに悪道に堕ちるならば、法華謗法の罪をつくったほうが、のちに善因となると考えるのです。聞法生謗」とは、法華経を説いて謗法を起こさせるということです。不軽菩薩のように人々の抵抗にあい、加害され死亡することがあっても法華経を説くということです。「堕於地獄」とは、これによって人々が堕獄してもということです。この弘教法(折伏)が、末法に課せられた仏子の使命と受けとめます。

この問答にうかがえることは、不軽菩薩をあげ逆縁の者のために、法華経を聞法させることが釈尊の随自意であるとのべたことです。換言すれば、不軽菩薩の「法を聞かせる」という行為が、逆縁成仏となるという論理をうかがうことができます。これが、末法下種論の基本となります。なを、「不軽軽毀」については、『守護国家論』(一一二頁)、「謗法堕獄」については、『十法界明因果鈔』(一七二頁)、「毒鼓」「信謗共下種」については、同年の『教機時国鈔』(二四二頁)等にみられます。『善住天子経』「聞法生謗」の引用は、『一代聖教大意』(六八頁)にみられます。

 つぎの一三〜一五問答は、諸宗の諸師が謗法の罪を造っているとして、これらの悪知識を恐れなければならないとのべています。「似破」(じは)・「能破」(のうは)をあげ、「似破」は、どちらが正しいかを知っている者、「能破」とは、まったく間違っている者が、経の勝劣を論じることです。そこで、各宗の祖師が正邪をわきまえていたかを、

「されば諸宗の祖師の中に回心の筆をかゝずば、謗法の者悪道に堕たりとしるべし。三論の嘉祥・華厳の澄観・法相の慈恩・東寺の弘法等は回心の筆これあるか。よくよく尋ねなら(習)うべし」(二六二頁)

と、真言宗などの祖師を悪知識として批判しています。これは、法華経を華厳経や大日経の下位にする、空海の十住心の教理を謗法とすることになります。この『顕謗法抄』において、はじめて密教批判が確認される重要な遺文といいます。諸宗の背反の論拠は、『無量義経』の「四十余年未顕真実」を文証として爾前経が法華経を下げて見ることは謗法であるとのべたのです。そして、『涅槃経』に示された悪知識は、机上のことではなく、現実の歴史の中に現れた、仏教破壊者として捉えています。

「されば大荘厳仏の末の四比丘は、自悪法を行じて、十方の大阿鼻地獄を経るのみならず、六百億人の檀那等をも十方の地獄に堕しぬ。鴦崛摩羅は摩尼跋陀が教に随て、九百九十九人の指をきり、結句、母並仏をがいせんとぎ(擬)す。善星比丘は仏の御子、十二部経を受持し、四禅定をえ欲界の結を断じたりしかども、苦得外道の法を習て、生身に阿鼻地獄に堕ぬ。提婆が六万蔵八万蔵を暗じたりしかども、外道の五法を行じて現に無間に堕にき。阿闍世王の父を殺、母を害せんと擬せし、大象を放て仏をうしないたてまつらんとせしも悪師提婆が教なり。倶伽利比丘が舎利弗・目連をそしりて、生身阿鼻に堕せし、大族王の五竺の仏法僧をほろぼせし、大族王の舎弟は加湿弥羅国の王となりて、健駄羅国の率都婆・寺塔一千六百所をうしなひし、金耳国王の仏法をほろぼせし、波瑠璃王の九千九十万人の人をころして血ながれて池をなせし、設賞迦王仏法を滅し菩提樹をきり根をほりし、周の宇文王の四千六百余所の寺院を失ひ、二十六万六百余の僧尼還俗せしめし、此等皆悪師を信じ悪鬼其身に入し故也」(二六二頁)

 つぎの問答は、インド・中国において、仏教が低迷したのは外道や小乗仏教が原因であったので、日本の仏教も同じになるのかを問います。日本には外道の教えはなく、小乗(倶舎・成実・律宗)は大乗を学ぶための基礎学問として受容されたので、日本仏教は大乗の五宗(法相・三論・華厳・天台・真言宗)があるとし、これによって成仏を願ったが、時代を経るにしたがって、各宗の僧侶は仏教の教えを求めるのではなく、寺檀の欲から自宗に執着するようになったと、現状をのべています。

四は、「弘法用心抄」として、『教機時国鈔』でのべた弘教の五義を再説しています。そのなかでも教に視点をあててのべています。ここに注目されることは、幼少時に抱いた疑問、それは、仏教のどの宗派を信仰すれば仏になれるのか、ということであり、天台・真言・浄土・禅などの、宗々の肝要を習い極めることでした(一五三三頁)。そして、それを解決すべく「日本第一の智者」(一二八三頁)を誓ったのです。本書に法華経に到達されるまでの軌跡をみることができます。

要点は、教について一代五時の説教をあげ、大小・権実・顕密の違いがあることをのべます。各宗の祖師は華厳経が第一であるとか、深密経・般若経・大日経・浄土三部経、また禅宗の教外別伝、真言宗の密教など、自宗を第一としているが、「已今当の三説」(二六九頁)において、「一切諸仏の諸説の所詮の法門の大王」たる、第一の経王は法華経であると知ることが知教であるとのべています。「一代五時」・「五重相対」の教義が、立教開宗いらいの論調となっています。

 ・他宗の主張

  華厳宗―五教(小乗教・大乗始教・大乗終教・一乗頓教・一乗円教)華厳経第一

      南三北七の諸師、華厳宗の賢首・澄観、真言宗の空海

  法相宗―三時教(有教・空教・中道教)了義教――不了義教―法華経

                        ―了義教――深密経第一

  三論宗―二蔵(声聞蔵・菩薩蔵)三時(初時心境倶有・二時境空心有・三時心境倶空)般若経第一

真言宗―空海の東密―――――顕密勝劣・両部・大日法身説法

十住心(異生羝羊心・愚童持斎心・嬰童無畏心・唯蘊無我心・抜業因種心・他縁大覚心・覚生不生心・一道無為心・極無自性心・秘密荘厳心)真言密教第一

―慈覚・智証の台密――顕密一致・三部・釈迦大日一致、釈迦加持説法

法華経(略・諸法実相の理だけが秘密)、大日経(広・理と印真言の身語意三密の事

相も秘密)大日経第一

  浄土宗―聖道門・浄土門、難行道・易行道、雑行・正行―浄土三部経第一

  禅宗―如来禅(圭峯宗密、教禅一致)、祖師禅(達磨、以心伝心・教外別伝)禅宗第一

 ・天台・最澄・日蓮聖人

  法華経第一――「四十余年未顕真実」・「已今当説最為難信難解」・「法華最第一」

まず、法華経が真実であり最勝の教えであることを確認します。この勝劣・浅深を確定したうえで、大乗が小乗を批判することは謗法にはならない、しかし、小乗が大乗を批判するのは謗法となる、という基本を順序立ててのべています。これを、他宗の謗法解釈と誤りを問答形式にて論じていきます。

 

「難云、華厳五教、法相・三論三時、禅宗教外、浄土宗難行・易行、南三北七五時等、門はことなりといへども入理一にして、皆仏意に叶謗法とならずといはゞ、謗法という事あるべからざるか。謗法と者法に背という事なり。法に背と申は、小乗は小乗経に背き、大乗は大乗経に背。法に背かばあに謗法とならざらん。謗法とならばなんぞ苦果をまねかざらん。此道理にそむくこれひとつ。大般若経云謗般若者十方の大阿鼻地獄に堕べし。法華経云若人不信乃至其人命終入阿鼻獄。涅槃経云世に難治の病三あり。一には四重、二五逆、三謗大乗なり。此等の経文あにむなしかるべき。此等は証文なり。されば無垢論師・大慢婆羅門・熈連禅師・嵩霊法師等は正法を謗じて、現身大阿鼻地獄に堕、舌口中に爛たり。これは現証なり。天親菩薩は小乗の論を作て諸大乗経をはしき。後に無著菩薩に対して此罪を懺悔せんがために舌を切とくい給き。謗法もし罪とならずんば、いかんが千部の論師懺悔をいたすべき。闡提者、天竺の語、此には不信と翻す。不信者、一切衆生悉有仏性を信ぜざるは闡提人と見へたり。不信者、謗法の者なり。恒河の七種の衆生の第一は一闡提謗法常没の者。第二、五逆謗法常没等の者なり。あに謗法ををそれざらん」(二六五頁)

 ここに、謗法の証文と謗法罪の現証として、無垢論師などが舌口の中が膿み爛れ、現身に大阿鼻地獄に堕ちたことをあげます。つまり、法華謗法は罪であり堕獄という罰があることを示します。また、闡提は不信であり、不信であることが謗法であると規定します。そして、法華経は一切経の経王であることを、「四十余年未顕真実」・「已今当の三説」によりのべます。経王とは、どのようなことなのかを具体的に

「小乗経には無為涅槃の理王なり。小乗の戒定等に対して智慧は王なり。諸大乗経には中道の理王なり。又華厳経は円融相即の王、般若経は空理の王、大集経は守護正法の王、薬師経は薬師如来の別願を説く経の中の王、双観経は阿弥陀仏の四十八願を説く経の中の王、大日経は印真言説経の中の王、一代一切経の王にはあらず。法華経は真諦俗諦・空仮中・印真言・無為理・十二大願・四十八願、一切諸経の所説の所詮の法門の大王なり。これ教をしれる者なり」(二六九頁)

 つまり、釈尊が説いた諸経は、それぞれ意義があり大事な法門ではあるが、これらは「四十余年未顕真実」

というように、各セクトの首領であって、それらを統合し完成されたのが、法華経と理解できます。一代仏教をこのように理解することが「知教」であるとのべたのです。各宗の祖師が自宗の依経を第一としたのは、教を知らない無知の者、換言すれば謗法者となります。謗法の罪を犯せば堕獄する、というのを「謗法堕獄」といいます。とするなら、各祖師たちは堕獄したのだろうかという問いを設けます。

天台の『梵網経疏』の「謗三宝戒」を釈した謗法に、「上・中・下・雑」の程度があることと、他師を破折するのに「能破」と「似破」があることをのべます。

「問云、此等皆謗法ならば悪道に堕たるか如何。答云、謗法に上中下雑謗法あり。慈恩・嘉祥・澄観等が謗法は上中の謗法か。其上自身も謗法としれるかの間、悔還筆これあるか。又他師をはするに二あり。能破・似破これなり。教はまさりとしれども、是非をあらはさんがために、法をはす、これは似破なり。能破者、実にまされる経を劣とをもうてこれをはす、これは悪能破なり。又現にをとれるをはす、これ善能破なり」(二七一頁)

 「上・中・下・雑」とは邪見を分別したものです。このうち、下邪見とは「大を棄て小を取る。心中に謂わく二乗は勝れ大乗は及ばず」(『日蓮聖人遺文全集講義第六巻二一六頁』)とあります。邪見とは誤った見解をいいます。また、正法に背くことを邪見といいます。『開目抄』に、

「伝教大師此の国にいで(出)て、六宗の邪見をやぶ(破)るのみならず、真言宗が天台法華経の理を盜取て自宗の極とする事あらはれをはんぬ。伝教大師宗々の人師の異執をすてゝ、専経文を前として責させ給しかば、六宗の高徳八人・十二人・十四人・三百余人並弘法大師等せめをとされて、日本国一人もなく天台宗に帰伏し、南都・東寺・日本一州の山寺皆叡山の末寺となりぬ。又漢土の諸宗の元祖の天台に帰伏して謗法の失をまぬかれたる事もあらはれぬ」(五四一頁)

と、伝教大師は六宗の教えの誤りを破折します。すなわち、経典を誤って解釈した教義、これを邪見といいます。この邪見を破折したことにより、各宗の人師が「謗法の失」、つまり、謗法罪と堕獄から免れたとのべています。日蓮聖人は邪見と謗法を同じ意味で使われています。また、謗法の者を救済するという意識が強いことも、日蓮聖人の教えの大事なことが理解できます。では、どうして、法華経を誹謗することが謗法になるのでしょう。

「法華経の理は開会の理、記小久成これあり。諸大乗経の者が法華経をは(破)するは謗法となるべし。法華経の者の諸大乗経を謗するは謗法となるべからず。大日経真言宗は未開会、記小久成なくば法華経已前なり。開会・記小・久成を許さば涅槃経とをなじ。但善無畏三蔵・金剛智・不空・一行等の性悪の法門・一念三千の法門は天台智者の法門をぬすめるか。若し爾らば、善無畏等の謗法は以破か又雑謗法か」(二七一頁)

つまり、二乗の成仏と仏の久遠実成(「記小久成」)を、説いた(開会)のが法華最第一の理由であるのです。そして、法華経の持経者が他宗の誤りを破折するのは、謗法にはならないとのべています。また、無著菩薩・龍樹菩薩は、法華経の開会の教えを心得て、四意趣・四悉檀を用て爾前の経々の意を判じたのであるから、未開会の四意趣・四悉檀と、開会の四意趣・四悉檀を混同したら謗法になるとのべます。これを、機根の立場からみますと、開会をした法華経の会座と、未開会のときでは、衆生の修行と学解が違うのです。

つぎに、信而不解(信じるが解らない)・解而不信(解るけど信じない)・亦信亦解(信じ解る)・非信非解(信じない解らない)の信解と謗法について検討します。「信而不解」は謗法なのか、得道はあるのかが焦点になっています。これについて、法華経の譬喩品をもって答えます。

「問云信而不解之者謗法歟。答云法華経云以信得入等云云。涅槃経九云」(二七二頁)

 信じるが解らない者においても、信心があれば仏の悟りの境界にはいり成仏できるとします。日蓮聖人は譬喩品の「以信得入」の文を引用して、「信心為本」の信仰を説きます。おなじく、『涅槃経』の文は、本書に引く、「九云聞此経已悉皆作菩提因縁。法声光明入毛孔者必定当得阿耨多羅三藐三菩提等云云」の文をいいます。しかし、同じ『涅槃経』の「恆河第二の衆生」をあげ、「信而不信」(信じながら信じない)の者と、同じか違うかを問います。「信而不信」とは、心から実経を信じられず、爾前経に執着している、「信不具足」のことをいいます。また、誤った理解(顛倒解義)をすることをいいます。これは、「信而不解」の者とは違うことをのべます。この暫出還没の者を常没の誹謗五逆とします。本書に、

「不信者、謗法の者なり。恒河の七種の衆生の第一は一闡提謗法常没の者。第二五逆謗法常没等の者なり。あに謗法ををそれざらん」(二六六頁)

と、のべていたように、日蓮聖人は『涅槃経』の、「恆河七種の衆生」の譬を引いて不信謗法をのべます。駿河の興津の浄蓮上人に宛てた『浄蓮房御書』にも、この譬を引いて謗法についてのべています。 

「釈尊最後の遺言には涅槃経にはすぐべからず。彼経には七種の衆生を列たり。第一は入水則没一闡提人也。生死の水に入しより已来いまに出ず。譬へば大石を大海に投入たるがごとし。身重して浮ことを習はず。常海底に有。此常没と名く。第二をば出已復没と申。譬へば身に力有とも浮ことをならはざれは出已て復入りぬ。此は第一の一闡提人には有ねども、一闡提のごとし。又常没と名く。(中略)日蓮涅槃経の三十二三十六を開見に、第一は誹謗正法の一闡提、常没大魚と名けたり。第二は又常没。其第二の人を出さば提婆達多・瞿伽梨・善星等也。此は誹謗五逆人々なり。詮ずる所、第一第二は謗法と五逆也」(一〇七三頁)

そして、「信而不解」の者が得道できることを、『涅槃経』三二迦葉菩薩品(北本は三五)の文と、さきには掲示しなかった『涅槃経』九如来性品の、「聞此経已悉皆作菩提因縁」の文と、法華経の結経には、自誓受戒の作法や六根懺悔の法を示し、五逆謗法の者の滅罪と救済が説かれていますが、日蓮聖人はとくに、譬喩品の「以信得入」の文を引いて文証としています。これを、「但信無解」の成仏といいます。

「問云信而不解得道之文如何。答云涅槃経三十二云此菩提因雖復無量若説信心已摂尽文。九云聞此経已悉皆作菩提因縁。法声光明入毛孔者必定当得阿耨多羅三藐三菩提等云云。法華経云以信得入等云云」(二七三頁) 

 最後に、「解而不信」(解るけど信じない)の者も、一闡提謗法常没の者であることをのべています。証文として、同じく『涅槃経』の文を引きます。 

「問云解而不信者如何。答恒河第一者也。問云証文如何。答云涅槃経三十六説第一云有人聞是大涅槃経如来常住無有変易常楽我浄終不畢竟入於涅槃一切衆生悉有仏性一闡提人。謗方等経作五逆罪犯四重禁必当得成菩提之道」(二七三頁)

 

 以上のことから、「四句分別」のいずれが謗法なのかをみますと、つぎのようになります。

第一、一闡提―――――「解而不信」・「非信非解」―――「不信謗法」(誹謗正法の一闡提)

第二、五逆――――――「信而不信」―――――――――「不信謗法」(誹謗正法の五逆「相似の五逆」)

法華経――――――――「信而不解」・「亦信亦解」―――「以信得入」(「但信無解」・「信心為本」)

―「不信謗法」(五逆・一闡提誹謗正法)―――逆縁成仏

 また、大事なことは、これら五逆・一闡提の人々でも成仏できるのが、法華最勝の理由です。日蓮聖人は阿弥陀仏は五逆・一闡提の者は救えないとし、そこに、法華経との違いをのべています。『浄蓮房御書』に、つぎのようにのべています。

「詮ずる所、第一第二は謗法と五逆也。法蔵比丘の設我得仏、十方衆生至心信楽欲生我国乃至十念若不生者不取正覚。唯除五逆誹謗正法[云云]。此願の如きんば、法蔵比丘は恒河の第一第二を捨はてゝこそ候ぬれ。導和尚の如くならば、末代の凡夫阿弥陀仏の本願には千中無一也。法華経の結経たる普賢経には五逆と誹謗正法は一乗の機と定給たり。されば末代の凡夫の為には法華経は十即十生百即百生也」(一〇七五頁) 

このように、信心の有る無しと、解義の有無の視点から信解を対比し、そこに厳正に成仏と謗法堕獄を見極めていました。『顕謗法抄』は、奈良・平安の仏教をふまえ、法華最勝の立場から、他宗の祖師の邪義を批判する正当性をのべていました。そして、日蓮聖人の教学の基礎となっている、謗法堕獄の謗法論と、逆縁成仏や「以信得入」の成仏をのべていました。

さきにのべたように、本書に密教批判が確認されます。東密批判は、天台宗の五大院安然(八四一?)によって完結しているといいます。『教時問答巻二』は空海の十住心教判に、五失をあげて論破したもので、日蓮聖人は五大院安然を「叡山第一の古徳」(『撰時抄』一〇四一頁・一〇三〇頁)と認めており、比叡山に遊学したときに、これらについては既に把握されていたとして、立教開宗いぜんより内包していたといいます。『教時諍論』には天台宗を真言宗と改め、この真言秘密の密教が最勝としています。安然の教学をもって台密の最終的な教相といわれています。

いずれにしましても、これまでの、台密容認の天台沙門としては東密も正法としていたのが、本鈔において空海を謗法者、東密を謗法と断罪することが表面化します。しかし、理同事勝の教理と慈覚大師の台密については明確に批判されていませんしかし、権実判によるため約宗においても真言宗の破折は弱く、天台宗については論及していません。また、大智度論や摂大乗論についても不徹底と指摘されています。なを、理同事勝に対する批判が表明されてくるのは文永三年(四五歳)の『善無畏三蔵鈔』といわれています。(浅井円道著『日蓮聖人と天台宗』三六五頁)。

 

○大乗阿闍梨日澄上人

 弘長二年の春ころ、鎌倉の松葉ヶ谷の庵室に日蓮聖人を尋ねたといいます。日蓮聖人は流罪中であったので、日昭上人のもとで行学に励みます。一八歳の日朗上人を師匠として、二二歳の日澄上人が弟子となったといいます。翌年、日蓮聖人が赦免され鎌倉に帰り、一門の弟子として認められ、その翌年には日朗上人とともに、安房に随行しています。天津山日澄寺・比企大巧寺・池上大坊本行寺、故郷の小田原に蓮昌寺、名古屋熱田の本遠寺を建立しています。日朗上人の朗門九鳳の最初の上足といいます。(『本化別頭仏祖統紀』)。

 

□『論談敵対御書』(三二)

 この年に書かれたと推定されています。本書から弘長元年の「五月十二日」以降、伊豆流罪のあとに書かれたことがわかります。一紙七行の断簡で首欠していますが、冒頭の書き出しにより署名が名付けられています。断簡の全文はつぎのようになっています。 

「論談敵対時不及二口三口以一言二言令退屈了。所謂善光(覚)寺道阿弥陀仏・長安寺能安等是也。其後唯加悪口相語無知道俗令作留難。或語国々地頭等、或寄事権門、或昼夜打私宅、或加杖木、或及刀杖、或向貴人云謗法者・邪見者・悪口者・犯禁者等誑言不知其数。終去年五月十二日戌時、念仏者並、□師・□師・雑人等」(二七四頁) 

 この断簡には鎌倉名越の新善光寺(善光(覚)寺、道阿弥陀仏)の道阿道教念空と、長安寺の能安と論談をしたことがのべられています。道教は弘長二年には新善光寺の別当であり、念仏者の首領(代表)でした。長安寺の所在と能安については不明です。長安寺は同じ鎌倉市中にあったと思われます。論談とは法論のことで、道教たちは簡単に負けてしまったとあります。

このとき論伏された道教たちは、日蓮聖人の悪口を言い、なにも知らない念仏者の僧尼や俗人を扇動して、日蓮聖人たちを迫害したこと、さらに、国々の地頭・権門・貴人という、幕府の権力者や身分の高い者たちに訴え、あるときには昼夜に草庵を襲撃して、日蓮聖人を迫害したとのべています。つまり、この報復の現れが松葉ヶ谷夜討ちであると思います。

地頭・権門・貴人というのは、御家人や幕府の有力者をさすものと思われますが、それらのなかには、池上宗仲に宛てられた書状に、「なごへの一門の善光寺・長楽寺・大仏殿立させ給て其一門のならせ給事をみよ」(『兵衛志殿御返事』一四〇六頁)と、のべていることから名越氏も含まれているといえます。念仏者のほかに、「塗師・剛師」という職業層の者や、雑人とは雑多な力をもつ庶民(甲乙人・凡下)と思われますが、一部には家を造り売買する者を含むことが指摘されており(高木豊著『日蓮攷』一三四頁)、『破良観等御書』には、「町人等をひきいれ」(一二九四頁)、『妙法比丘尼御返事』には、「上下の人々を仲間に入れ日蓮を打ち殺そうとした」(一五六一頁)とあります。

また、「塗師、厨人、雑人」(高橋智遍著『日蓮聖人小伝二五〇』頁)と読むことがあります。塗師とは一般的に塗りものに関する仕事人であり、厨人(ちゅうじん)とは料理人のことをいいます。幕府のなかにある役職を指しているのかもしれません。これらの人々をも動員して、地位のある人たちに、日蓮聖人は邪見の者であり、禁戒を犯す者と悪口雑言をし、日蓮聖人にむかっては昼夜に刀杖を帯びて襲ったとあります。そして、結果的に伊豆流罪に処せられたという謀略の展開を記しています。
 事件の大きさからみますと、伊豆流罪の発端となった論談であるといえましょう。本書は、このあとの真蹟が失われています。文章は「去年の五月一二日の午後八時ころ、浄土宗徒や諸人らが」、のところまでです。前にのべた、松葉ヶ谷法難の日を、この日とする説があります。道阿道教はのちに盲目になったことが、『四信五品鈔』(一二九九頁)にのべられています。

 一一月二五日に伊勢神宮が焼亡しています。一一二八日に親鸞が、京都左京区押小路南、万里小路東にて九〇で没しています。親鸞は悪人正機説を立て悪人こそが念仏によって救われると説きました。弟子の唯円が筆記したのが単に『歎異抄』です。翌日、末娘覚信尼たちにより東山鳥辺野に火葬し、三〇日に収骨しています。一二月一 日に覚信尼が恵信尼に逝去を伝えました。